血縁だからと無理しなくて良い

 

こんばんは。ヒーリングサロンひまわり masakoです。

4泊5日の鹿児島・福岡旅行を終えて、数日前に東京に戻って来ました。

どちらも35年振りくらいの訪問で、おぼろげな記憶しか残っていなかったけれど、自分が生きてきた証のようなものを感じることができて良かったです。

 

今回の旅行は父の喜寿祝いを兼ねて、父方の祖父・瀬尾南海(せのお なんかい)という日本画家の生誕120周年企画展を観覧するために鹿児島へ行きました。

4月まで鹿児島市内の黎明館で開催されていますので、お近くに行くご予定がおありでしたらお立ち寄り頂けると嬉しいです。

 

両親、私、妹たちの5人での旅行は20年振りくらいだったのですが、段々と母との関係が悪化していくのを感じていました。

そして、最終日の福岡(母、私、一番下の妹の3人だけが滞在)では、母が私への怒りを爆発させました。

 

その前日のこと。

福岡では幼少時に可愛がってくれていた女性がいて、35年振りに再会。

そして、「あなたが自殺してしまうのではないか・・・と、ずっと心配だった」と何度も言われました。

 

その女性の姉妹2人もそれぞれに「あなたは可哀想だった。いつも我慢ばかり強いられていて。」とか、「アメリカに留学して両親と離れ離れに暮らしていると聞いて、本当に良かったと思っていた。」などと言われました。

そんな言葉を聞いていて、身体の震えが止まらなかったのです。

そして、涙がどんどん溢れてきて、古い感情が思い出されました。

細胞はしっかりと覚えているのだな〜と改めて気付かされる出来事でした。

 

スピリチュアルな学びを通じて、私自身ずっと自分の幼少時の悲しみや怒りと向き合い、それらの感情を手放すことを続けてきました。

でも、母が私への怒りを爆発させるような流れになってしまうという事は、まだまだ解放し終えていないのかもしれません。

と同時に、母がまったく変わっていないのだと分かりました。

 

私はとても厳しい両親の元で育ちましたが、父はいわゆる団塊の世代でしたので、子育ては母が一人で行なったようなものです。

抑圧された環境で、基本的に母の感情がすべての行動を決めていました。

口ごたえは許されず、何をするにも出来て当たり前というように受け留められるような子供時代。

その上、何もかもコントロールするような母親でした。

 

少しずつ丸くなってきたとは言え、母の私への接し方や期待は昔とほとんど変わりません。

そして、それは妹たちへの態度とはまったく異なるものなので、妹たちに私の感情を理解することは出来ないでしょう。

 

母が怒りを爆発させたのは、私の母への態度がキツいことが不満だったのです。

そして、一番下の妹からも、「何故そこまで母親にキツく接するのか分からない」と言われてしまいました。

でも、私は幼少時からずっと妹たちに同じようなツライ思いだけはさせまいと生きてきたので、妹の言葉は私ほど両親との関係でツライ思いをしていないことを証明しているように感じて嬉しかったのも事実です。

 

たとえ母親だろうが、兄弟・姉妹だろうが、いつまで経っても変わらない人はいます。

自分の観点でしか物事をとらえられなかったり、1つの学びから発展させることが出来なかったり、自分の非を認めることなく他人を非難したり・・・。

そういう人は客観的に伝えても、真意を理解してくれないもの。

 

それなら、無理に付き合う必要はないのです。

見ず知らずの人よりは少し近い間柄であるだけで、たとえ血縁関係にあっても他人は他人。

そんな風に割り切っても良いのではないでしょうか?

 

もしあなたが家族との関係で変化のない負のスパイラルをグルグル回ったまま何年も、何十年も過ごしてきたのなら、少し距離を置いてみましょう。

だからと言って、決して相手を変えようなどとは思わないように。

人それぞれ、歩みのペースは違うのですから。

 

 

 

 

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