一昨日、「楽しくないと思いながらブログを続けていたら、それは環境が悪いのではなくて自分がその環境から抜け出さないのが悪い」と気付いたばかり。
そういう気付きだけでも執着って手放せているのかもしれない・・・と思う出来事が昨晩ありました。
つい最近、Facebookに高校の同窓生非公開グループができたらしく、昨日、唯一つながっている友人から招待されたんです。まだ立ち上げたばかりということもあって、私が入った時は10人満たない状態でした。
たった10人弱のメンバーの中に、私がつながっている人が入っているのも奇跡だと思うのだけど、高1の時に同じクラスだったらしいJちゃんが(各自で自己紹介しあっていて、担任の先生を書いているので同じクラスだったかも!?と記憶をたぐり寄せるキッカケになっています)、わざわざメッセージとお友達申請をしてくれました。
Jちゃんとのやり取りの中で、すっかり忘れていた高1のクラスメイトですごく仲良かった子の名前を思い出したり(笑)、Jちゃんが私と隣の席になった時の思い出を書いてくれて。
まったく覚えていない一コマだったのだけど(誰か突っ込んで~)、何だか嬉しくなりました。不思議なことに、仲良くしていた子の名前は全然思い出せないのに、Jちゃんの事は結構思い出せている自分に苦笑い。
記憶の中の私は、お友達がいない高校生活だったんだけどな~(^_^;)
中学からの内部進学生も多くて、ある程度グループができていたので入れなかったんです・・・何となく。
大学はアメリカに行ってしまったので、高校時代の友人たちとの縁も次第に途切れてしまったし、連絡を取り合う仲の同級生もいなかったのだけど、あの学校に行って本当に良かった♪って思っていました。
なので、娘も母校に通わせたくて、学校見学に行ったんですけど・・・直後に突然シドニー行きが決まったので、受験をすることなく日本を発ちました。
大好きな学校だけど友達とは繋がっていないという状態が20年以上続いていたのに、新たな繋がりができるなんて、これこそ執着を手放した結果なのでは・・・?と思えて仕方がありません。
だけど、単に気付いただけで、決して手放せたとは感じていないのだけど、それでも「思考が世界を作る」というのは、こういう事なのかもしれないな~と思ったり。
そうそう、当たり前にあることに感謝するようにしたのも2日前からです。
寝たい時に寝て、食べたい時に食べて、健康で、何だかんだ言っても不自由なく日々を暮せていること。
1つ1つに「ありがとう」という気持ちを持つようになったのが、こんな変化をもたらしたのでしょうか・・・。
何気ないキッカケだとは思うけれど、Jちゃんがメッセージとお友達申請をしてくれたことは、とてもとても幸せな気持ちにさせてくれました。
これはきっと、私の存在意義を認めてもらえたような気がして嬉しいのだと思います。
Jちゃん、ありがとう(#^.^#)
そして、Facebookの同窓会グループに招待してくれた同じ日に生まれた同い年の元クラスメイトのAちゃん、心からありがとう♪
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